更新日:2023年2月21日
江戸時代の東海道の内、旅人にとって屈指の難所となった箱根山(はこねさん)(箱根峠(はこねとうげ))越えの小田原宿から三島宿までの区間。一部には、皇女和宮(こうじょかずのみや)が14代将軍徳川家茂(とくがわいえもち)のもとに降嫁するにあたって、文久元年(西暦1861年)に大改修工事を行った時の石畳が現存し、往時の街道の風情がよく残っています。函南町内では延長1.9キロメートルと山中一里塚(やまなかいちりづか)が指定されています。
箱根旧街道
一里塚とは街道の両脇に距離の目安として一里(約3.9キロメートル)ごとに築かれた塚のこと。塚の上には目印となる木が植えられ、馬や籠賃の目安でもあった。山中一里塚(やまなかいちりづか)は江戸から二十六里目で、北塚は無く南塚だけが残っています。
大きさは約12.7メートル×10.9メートルの楕円形で、高さは約2.0メートルです。
一里塚
天正17年(西暦1589年)、全国統一を進める豊臣秀吉(とよとみひでよし)と敵対した後北条氏(ごほうじょうし)が、三島・韮山方面からの街道の抑えとして山中城(やまなかじょう)に出丸を増築。しかし、翌天正18年に未完成のうちに戦いとなり、僅か半日で落城しました。
用地の公有化と発掘調査及び整備事業は三島市が実施しています。
整備された出丸
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