史跡(国指定・箱根旧街道と山中城)

更新日:2024年03月01日

ページID : 3697

国指定史跡

箱根旧街道

江戸時代の東海道の内、旅人にとって屈指の難所となった箱根山(はこねさん)(箱根峠(はこねとうげ))越えの小田原宿から三島宿までの区間。一部には、皇女和宮(こうじょかずのみや)が14代将軍徳川家茂(とくがわいえもち)のもとに降嫁するにあたって、文久元年(西暦1861年)に大改修工事を行った時の石畳が現存し、往時の街道の風情がよく残っています。函南町内では延長1.9キロメートルと山中一里塚(やまなかいちりづか)が指定されています。

両サイドに大小様々な木々や雑草が生い茂っていて落ち葉がたくさん落ちている石畳の道の写真

箱根旧街道

山中一里塚(やまなかいちりづか)

一里塚とは街道の両脇に距離の目安として一里(約3.9キロメートル)ごとに築かれた塚のことです。塚の上には目印となる木が植えられ、馬や籠賃の目安でもあった。山中一里塚(やまなかいちりづか)は江戸から二十六里目で、北塚は無く南塚だけが残っています。
大きさは約12.7メートル×10.9メートルの楕円形で、高さは約2.0メートルです。

もりあがった地面に大小さまざまな木々や雑草が生い茂っていてそこに入れないように手前に茶色の棒とロープで柵が建てられている写真

一里塚

山中城(やまなかじょう)(岱崎出丸(だいさきでまる))

天正17年(西暦1589年)、全国統一を進める豊臣秀吉(とよとみひでよし)と敵対した後北条氏(ごほうじょうし)が、三島・韮山方面からの街道の抑えとして山中城(やまなかじょう)に出丸を増築しました。しかし、翌天正18年に未完成のうちに戦いとなり、僅か半日で落城しました。
用地の公有化と発掘調査及び整備事業は三島市が実施しています。

手前に堀があり周りに城壁の上に沿うように草木が生えている城跡の写真

整備された出丸

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〒419-0122 静岡県田方郡函南町上沢81番地
電話番号:055-979-1733
ファックス番号:055-979-1744
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